なぜ歴代天皇は「伊勢神宮」を無視してきたのか? 消された「本当の皇祖」とアマテラスの真実
日本史あやしい話
■女帝・持統天皇が全てを画策した?!
持統天皇といえば、第40代・天武天皇亡き後を継いだ女帝である。皇后時代に天武天皇との間に草壁皇子を生んだが、皇位を継承する前に病死。そこで草壁皇子の子・軽皇子(文武天皇)が成人するまでの中継ぎとして、自らが即位したという女性であった。
その持統天皇にとって、孫である文武天皇のことが何よりも気がかりだったことは言うまでもない。彼女が思いついたのが、自らをアマテラスに見立てて権威を高めるとともに、後にこの世の支配者になろうとする孫・文武天皇に、アマテラスの孫・ニニギ像をダブらせようとすることであった。その継承が、天の意思に基くものであることを暗に示したかったというのだ。
それをより強く印象付けるためには、皇祖神が男性神であるタカミムスヒでは都合が悪い。ならばと、それを祀る巫女(女性)に神格を持たせて絶対至高の神とし、アマテラスという名の皇祖神へと祭り上げてしまったという次第であったというのだ。
ちなみに、『日本書紀』によれば、持統天皇は臣下の諌めも聞かず、伊勢行幸(692年)を強行している。目的は、竹澤秀一氏の著書『伊勢神宮と天皇の謎』によれば、「自分がアマテラスとして振る舞うことを伊勢神宮に報告し、あわせてその許しを得るためだった」とか。
ただし、それ以降、明治天皇の前代に至るまで、歴代天皇は誰一人として伊勢神宮への参拝を行っていない。それこそが、アマテラスが本当に皇祖でなかったことの証なのではないかと、そう思ってしまうのである。

アマテラスが岩屋に籠って国中が暗闇に包まれた際、困った八十万の神々が神議りしたという天安河原/撮影・藤井勝彦
- 1
- 2