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鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」

医療・健康・介護のコラム

てんかんの既往があり、発作で救急搬送された男子大学生 「母親とは仲が悪い。病気のことは言わないで」と要望 どう対応?

学内でけいれん発作 かかりつけではない病院に搬送

 20歳の男子大学生が、大学の帰宅途中にけいれん発作を起こして救急搬送された。本人によると、てんかんの既往があり、ふだんは自宅近くの病院に通院していたが、その日は大学近くの病院に搬送された。脳の器質的変化をみるためにCT検査を行い、採血をしたところ、けいれんを引き起こす異常所見は他になく、てんかんのけいれん発作と考えられた。

 けいれんの後は意識障害が長引く、あるいは薬の影響で眠気が強くなる場合もあるため、一人でこのまま家に帰すことはできないと判断し、本人の承諾を得て家族に連絡したところ、母親が急いでやってきた。本人は、「母親とは仲が悪い。通院していたことや病気の詳しいことは言わないでほしい。親に言うと、一人暮らしが出来なくなり、厄介なことになる」と言う。

 救命救急センターで働く、精神看護が専門の看護師が語ってくれた事例です。患者本人の言う通り、母親に言わない方が良いのか、伝えた方が良いのか、今後の親子関係への影響も考えたとき、どのように対応すべきか悩んだと言います。母親から「どういう病気なのか」と説明を求められた医師と看護師は、本人の同意を得て伝えることにしました。

本人の同意を得て、母親に説明

 看護師も同席し、医師が母親に「今まで、てんかんで近くの病院に通院されていたようですが、今回は発作が起きたため、大学近くの当院に救急搬送されました。調べた結果は特に新しい所見は見られず、今までのようにてんかんのけいれん発作が起きたと考えられます。長時間のアルバイトがあり、テスト期間でもあったことから忙しく、睡眠不足も続いていたようなので、ゆっくり休める環境を整えられると良いですね。かかりつけには診療情報提供書を書きますので、お持ちいただき、近日中に受診されてはどうでしょうか」と説明した。

 母親は息子に「てんかんで通院していたなんて全く知らなかった。なぜ話してくれなかったの」と、冷たく言い放った。

「やっぱり言わないでほしかった」

 その後、看護師が本人と再発予防や生活の見直しなど、今後のことについて話をしていると、看護師をにらみながら「さっきは話してもいいと言ったけど、やっぱり言わないでほしかった」と怒りをぶつけるような発言があった。帰る準備をしていると、何かまだ言いたそうな表情をしていたので、看護師は「何か言いたいことはありますか。何でもいいですよ」と聞いたところ、「親とはずっと仲が悪くて、やっと大学生になって家を出られたのに、あんな家には帰りたくない。だから通院していることも知られたくなかった」と言う。

「いつかは伝える必要があった」と理解求める

 看護師は「親御さんといままでいろんなことがあったんですね。ただ、てんかんの発作がいつ起きるかわからないですし、あなたに何かあったら親御さんも悔やむでしょう。いつかはご自分で伝えることが必要だったと思うんです。もしかしたら、このような場が伝えるチャンスだったのかもしれません。こういった場を使って、お母様に伝えておくことができたとは考えられませんか」と伝えたという。患者は少し沈黙した後、「自分では言えなかった……」とつぶやいたといいます。

 看護師は、この機会に母親に病気のことを理解してもらうのも良いことではないかと考え、母親からかかりつけ医に受診相談の連絡をしてもらい、この後、患者と母親は一緒に受診に向かうことができた。

 この事例を通して、看護師に、どんなことを見据えてこの患者と母親にアプローチしたのかと問いかけたところ、「病気に関しては、発作が治まれば救急外来のナースとしてやるべきことは果たした、ということは言えます。しかし、その後の再発予防や生活の見直しを念頭に置いて関わりました。次の発作が起きた時に、家族が病気のことを知らなければ、誰も助けられないかもしれません。状況を知ってもらえば、もしかしたら、一人暮らしをさせるのは、今は危ないと思って、生活や関係性(かかわり方)を考え直す機会を持つかもしれない」と語ってくれました。かかりつけ医に一緒に受診するという提案も、このアプローチの先にあるものでしょう。

看護師が親子をつなぐ役割

 さらに興味深いのは、看護師が本人と母親のクッションのような立ち位置をあえてとろうとしているところです。看護師は、「今話す時間をもうけないと、次の話す機会はないだろう。また家族との関係性が悪いのなら、なおさら2人の時には言えない」と思ったと言います。

 いつかは自分の病気について話さなくてはならないと、きっと患者自身も感じていたことでしょう。しかし、いつどうやって伝えるかははっきりせず、後回しにしていましたが、あえてその機会を第三者が作ったということになるでしょう。

 倫理とは、人と人とが関わりあうなかで、どうあるべきかを考えるものであり、まさにこの事例では、看護師が親子をつなぐ役割を果たしたと言えるでしょう。(鶴若麻理 聖路加国際大学教授)

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鶴若麻理(つるわか・まり)

 聖路加国際大学教授(生命倫理学・看護倫理学)、同公衆衛生大学院兼任教授。
 早稲田大人間科学部卒業、同大学院博士課程修了後、同大人間総合研究センター助手、聖路加国際大助教を経て、現職。生命倫理の分野から本人の意向を尊重した保健、医療の選択や決定を実現するための支援や仕組みについて、臨床の人々と協働しながら研究・教育に携わっている。2020年度、聖路加国際大学大学院生命倫理学・看護倫理学コース(修士・博士課程)を開講。編著書に「看護師の倫理調整力 専門看護師の実践に学ぶ」(日本看護協会出版会)、「臨床のジレンマ30事例を解決に導く 看護管理と倫理の考えかた」(学研メディカル秀潤社)、「ナラティヴでみる看護倫理」(南江堂)。映像教材「終わりのない生命の物語3:5つの物語で考える生命倫理」(丸善出版,2023)を監修。鶴若麻理・那須真弓編著「認知症ケアと日常倫理:実践事例と当事者の声に学ぶ」(日本看護協会出版会,2023年)

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