徳川家康天下取りの転機となった「大高城跡」を訪ねて【ニッポンの歴史舞台を旅する[愛知県名古屋市編]】
徳川家康 天下人へと続く人生の分岐点
■桶狭間の戦いが家康のその後の人生を変えた⁉

徳川家康(刀剣ワールド財団蔵)
小さく弱き者が大きく強き者に打ち勝つ──。
戦国時代の魅力でもある〝下剋上〟。戦国を制した覇王・織田信長(おだのぶなが)が成し遂げた下剋上が〝東海一の弓取り〟と呼ばれた今川義元(いまがらよしもと)を敗った「桶狭間の戦い」である。実はこの下剋上戦において、のちに天下人となる徳川家康(とくがわいえやす/松平元康[まつだいらもとやす])が大手柄を挙げた。この戦功が家康の人生を左右したという。
今川義元軍の先陣として1000余りの軍勢を率いた家康は、攻撃の拠点となる「大高城(おおだかじょう)」への兵糧入れを命じられ、見事に成功させた。兵糧は、兵の食事のみならず馬の食料、武具を含み重要な軍事物資であり、当然だがもちろん織田方はそれを全力で防ぎにくる。家康はこの困難で重要な任務を成し遂げたのだった。
今川家内で立場が低く、最前線に配された上、危険な任務を当てがわれた家康は、忠誠心を試されるための「大高城への兵糧入れ」の使命を果たし、義元に賞賛された。そして丸根(まるね)砦攻略後「大高城をそのまま守れ」と命じられたことが、桶狭間の戦いの敗戦から家康が命拾いするという結果となる。「大高城への兵糧入れ」や岡崎への帰還が家康の一生にとっていかに大事な出来事であったのか。もし大高城での手柄がなければ桶狭間で落命し、後の「天下取り」も叶わなかったかもしれない。

大高城跡
家康が手柄を立てた大高城の跡。本丸、二の丸曲輪跡などが残る。

大高古城跡之図
かつて二重の堀に囲まれていた。 現在は国の史跡に指定されている。(提供:大高地域観光推進協議会)
大高城跡(愛知県名古屋市緑区)は、現在、大高城跡公園として整備され、園内には、曲輪跡や堀、土橋などの痕跡を見ることができる。また周辺には家康が桶狭間の戦いのとき、兵糧を運んだと伝わる道や桶狭間の戦いで戦場となり、織田方の拠点となった丸根砦や鷲津(わしづ)砦があり、跡地には石碑が立つ。

鷲津砦跡
鷲津砦があった丘にも碑が残る。信 長は520騎を配したという。(提供:大高地域観光推進協議会)

丸根砦跡
家康が急襲し落した砦。織田方 の猛将・佐久間盛重を撃破した。(提供:大高地域観光推進協議会)
家康にとって大仕事を成した場所であり、天下人への道に続く人生の分岐点ともなった大高城跡にはまだ当時の薫り漂う痕跡が残っている。

信長攻路
公益財団法人名古屋観光コンベンションビューロー
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