戦国史上最も誤解されている⁉ 淀殿が「悪女」だったというのは本当なのか?
今月の歴史人 Part.1
戦国・江戸時代の史料に記録された淀殿はもっぱら、「悪女」として登場し、最期まで大坂城にあって家康に逆らった首謀者という印象が強い。だが、それは真の姿なのか―。
■淀殿と家康が結婚するという説まであった

淀殿は妖怪にまで描かれていた
『今様俳優写真鑑』は江戸時代の役者絵だが、これも薄ら笑いを浮かべた意地悪そうな女性だ。(都立中央図書館特別文庫室蔵)
淀殿悪女説というのは、実は当時から存在した。慶長4年(1599)に毛利家の重臣・内藤隆春(ないとうたかはる)は国元の同僚・宍戸隆家(ししどたかいえ)に中央の様子を連絡する書状の中で「大野修理(おおのしゅり)と申し(中略)おひろい様の御袋様と密通の事こと共ども候が、打ち果たすべきの催し有り候」と述べている。お拾(秀頼)の母・淀殿が大野治長(はるなが)と密通したため殺害の相談がされた、というのだ。
治長は淀殿の乳母・大蔵卿の局の子だったために死罪は回避されたようだが、翌日「徳川家康暗殺計画に加担した」との嫌疑で下総国の結城秀康(ゆうきひでやす)預かりとなって北関東に流罪となっている。時系列から考えると、淀殿の不貞を糊塗(こと)するため折から表面化した暗殺計画の噂を利用し、治長を処分した可能性も考えられる。
もっともこの噂については淀殿にも言い分はあるだろう。夫・秀吉と秀頼の傅役の前田利家(まえだとしいえ)が相次ぎ死去し、淀殿が相談相手として頼れるのは乳母子で歳も近い治長しかいなかった。日常、つねに治長を側に置いて密議する淀殿を見て当時の人々が「出来ている」と邪推するのも自然なことだった。
この噂は世間に流布し、直後に奈良でも「家康と淀殿が秀吉の遺言に従って結婚しようとしたが、治長が淀殿を連れ高野山へ駆け落ちした」と物見高く記録され(『多聞院日記』)、朝鮮捕虜の姜沆まで「淀殿は治長の子を孕はらんでいたために家康との結婚を拒み、家康は治長を流罪にした」などという伝聞に接している(『看羊録』)。文禄2年(1593)には女房衆の醜聞事件があったのもこの噂に現実味を与え、あげく秀頼の父は秀吉でなく治長ではないかとまで囁ささやかれた。
これを最大限に利用したのが徳川幕府だった。大義名分を唱える朱子学に基づく幕府政治にとって、主筋の豊臣家を滅ぼした引け目を隠蔽(いんぺい)するには、淀殿を誹謗(ひぼう)するのが手っ取り早かったのである。最下級の遊女である「辻君」(道端で春を売る女)にこと寄せて「淀君」と呼んだのもそのひとつで、不貞の伝説を利用したものだが、そんな悪女が徹底的に家康に逆らって豊臣家を滅亡に追い込んだ、徳川家は悪くない、と主張したのだ(『閨閤伝』『慶長小説』他)。

「淀君蛇形をあらはす図」
秀吉の功績を綴った軍記物『絵本太閤記』でさえ、淀殿は妖怪として描かれている。(国文学研究資料館蔵)
■呼称はさまざまだが遊女を意味する「君」はない

淀殿の住居だった「淀古城」
淀殿が最初の子・鶴松を産む際に秀吉から与えられた淀古城。豊臣秀長が産所として改修し、淀殿の呼称はここに端を発する。鶴松が死去すると廃城となった。現在は妙教寺(京都市伏見区)となっており、境内に案内板も立っている。
では、「淀殿」とは適正な呼称なのだろうか。彼女の幼名は茶々・お茶々、一説に野々(弥々)ともいう。大坂の陣前の自署も「ちゃ〳〵」だ。
天正16年(1588)頃に豊臣秀吉の側室となり、寵愛を一身に受けた。天正17年、秀吉は茶々の懐妊が判るとまず彼女を茨木に移し「おちゃゝ(お茶々)」と呼んでいる(秀吉書状)。続いて弟・秀長(ひでなが)に淀城を拡大改修させると、彼女を淀城に移した。このとき茶々は第一子・鶴松を身ごもっており、その産所として淀城が当てられたのだ。
これを機に、茶々は住すみ処か の名をとって「淀の方」「淀殿」「淀の御前様」と尊称されるようになる。秀吉からは「淀の物(者)」と呼ばれた。5月に鶴松を出産し、翌年の北条征伐の陣中から秀吉は「淀の女房」「淀の五」とも呼んでいる(「五」は女性を表すという)。「御台様」という呼び方も用いられており、淀殿は「御台所(正室)」である北政所に並ぶ権威と勢いを持つ存在となっていた。
大坂城二の丸に移り住み「二の丸殿」と呼ばれた後、文禄2年に秀頼が誕生すると呼称は秀頼の生母としての「御ふくろさま(御袋様)」に。ちなみにこの呼称は後に大坂の陣で豊臣家が滅びるまで用いられる。
慶長3年、醍醐の花見の頃は伏見城西ノ丸に住み「西ノ丸様」と呼ばれた。秀吉の死後は「御上様」と呼ばれたこともある。これは女主人を意味し、次章で触れる淀殿の権力問題にも深く関わってくる。彼女の自筆書状で「あこ」とされてきた署名について学者の福田千鶴氏は「よと(淀)」と読む可能性を提起し、「淀様」称を主張している。自称なら「茶々」「淀」、他称なら「淀殿」が適当ではないか。
監修・文/橋場日月