神武天皇の王権創始にも深く関わっていた? 古代鴨氏一族と大和王権の謎
「空白の4世紀」と弥生王国の謎
「鴨氏(かもうじ)」といえば京都の鴨川や上賀茂・下賀茂神社をすぐに思い出します。しかし、鴨氏の源流をたどると誠に不思議な一族だったことがわかります。
■古代鴨氏のルーツと勢力圏
古代豪族の氏をみると「鴨氏(かもうじ)」という一族がいたことがわかります。今は京都の上賀茂神社や下賀茂神社、さらには鴨川にその氏名(うじな)を残していますので、京都に本拠地があったと思うでしょう。
たしかに京都に広大な領域を持って、川に名が残り神社の創建も多く、強大な豪族だったのは間違いありませんが、京都山背(やましろ)地域に鴨氏が移住する前は、奈良県の西部、葛城山系の麓一帯に大きな領地を持っていた豪族なのです。
その証拠に京都をはじめ全国に数多く祀られている「鴨社」の総本社が、御所市にある「高鴨(たかかも)神社」なのです。鴨氏は奈良県の御所市周辺に大根拠地を持っていたのがわかります。

奈良県御所市にある総本社 高鴨神社。
撮影:柏木宏之
古代鴨氏が秋津(あきつ)遺跡や鴨都波(かもつば)遺跡を営んだその時代はというと、考古調査の研究から、大和王権成立以前であることがわかっています。つまり古墳時代以前からこの地には鴨氏一族が住んでいたことになるのです。秋津遺跡とは、広大な稲作跡が発見された今も研究中の大きな遺跡です。
御所市内には鴨氏と、もう少し後の時代の葛城氏(かつらぎうじ)にかかわる神社や古墳が残されています。総本社の高鴨神社、高天彦(たかまひこ)神社、鴨山口神社、室宮山(むろみややま)古墳などなどで、今も多くの信仰を集める一言主神社もそうでしょう。それらの神社は創建時代が古すぎてはっきりしないという特徴もあります。
また、御所市には「神武天皇社」という古社があり、こここそ本当に初代天皇が即位して宮を開いた場所であると考える説があり、私もこの説には大賛成です。

御所市の神武天皇社
本居宣長に地元民が示した場所に鎮座している。
撮影:柏木宏之
明治になってバタバタと神武天皇陵が治定され、橿原神宮が創建されますが、江戸時代の本居宣長が調査旅行をしたときに奈良の畝傍付近で神武天皇の痕跡を探ったところどうしても見つからず、地元の人に聞くと「もっと向こうだ」といって西の方角を示されたそうです。
御所市の神武天皇社の南には「ホホマ神社」という小さな祠があります。ここには神武天皇の日向時代のお后である吾平津媛命(あいらつひめのみこと)が祀られています。また神武天皇が初めて国見をした小高いホホマの丘もすぐ北側にあります。
さらに大和入りした神武天皇の新しい大后は媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)といって、現在の大阪府の淀川北岸沿いの三島地域の三島鴨(みしまかも)神社や安威川(あいがわ)沿いの溝杭(みぞくい)神社付近が母親の実家だという伝承があります。出雲王家に嫁いだ母(玉櫛媛/たまくしひめ=活玉依毘売/いくたまよりひめ)が、夫の死後、実家に三人の子を連れて帰ったそうです。
つまり媛蹈鞴五十鈴媛は国津神・大国主命家系の娘で、その兄が天日方奇日方命(あめひがたくしひがたのみこと)という名前で、別名を「鴨王(かものきみ)」といい、今の御所市周辺に移住して鴨氏の祖となったという伝承があります。つまり初代神武天皇の大后は、鴨氏なのです。
神武天皇も地元の大権力者だった鴨氏に入り婿のような形で王権を創始したのかもしれません。あくまで神代から人代に移行するときの話ですから真実はわかりませんし伝承は幾通りもありますので解釈は自由ですが、なにかの事実をとどめた話なのかと思いたくなります。
このように大和王権発祥の神武王朝のバックには、古代鴨氏の強大な力が見えるのです。古代の御所市周辺の研究が、大和王権成立過程に大きなヒントを与えてくれるように思えてなりません。