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三国志【もし周瑜が長生きしていたら?】関羽・張飛を使って天下統一を叫んだ、「周瑜の野望」は実現したか

ここからはじめる! 三国志入門 第118回

NHK「人形劇 三国志」(1982~1984年)に登場した周瑜と魯粛(右)。提供/川本プロダクション 所蔵/飯田市川本喜八郎人形美術館 撮影・田村実

 容姿端麗な指揮官。「赤壁の戦い」を勝利にみちびいた孫権軍(のちの呉)の大黒柱。三国志を題材にした映画『レッドクリフ』(2008年)の主人公にもなった周瑜(しゅうゆ)の名は高い。今回は、その周瑜が描いた「天下三分」を超える天下統一の野望・ビジョンに迫ろう。

 

■抜群のリーダーシップで赤壁の戦いを制す

 

 西暦200年、絶対的リーダーの孫策(そんさく)を失った孫呉の陣営は意気消沈していた。弟の孫権が跡を継ぐもまだ19歳。若き盟主を軽んじる者も多かったなか、周瑜は違った。率先して孫権に臣下の礼をとり、変わらぬ忠誠を誓う。諸将もそれを見て態度を改め、孫権を盛り立てていくのだ。

 

 揚州(ようしゅう)を代表する名門・周家は、二代にわたり「三公」という要職を都でつとめた家柄。父親も洛陽の高官の地位にあり、その御曹司の周瑜はルックスも良く、音曲に堪能であるなど次世代のホープとして期待されていた。

 

 かたや孫家といえば、本来は地方の弱小豪族で、初代(孫堅)と二代目(孫策)が挙げた武名がすべてと言ってよい家柄だ。三代目・孫権の頼りは先々代から仕えた程普(ていふ)などの功臣たち。ほかに在地豪族の虞翻(ぐほん)、徐州から逃げてきた張昭(ちょうしょう)といった有力豪族の財や人脈に頼っていた。そんななか、孫策と義兄弟でもあった周瑜が孫呉陣営で発言力を持ったのは必然である。

 

 西暦208年、孫権が荊州に進出して間もなく、曹操は荊州南部へ侵攻の構えを見せ、孫権に圧力をかけた。「赤壁の戦い」の前触れである。周瑜は真っ先に徹底抗戦を訴えた。曹操を「漢賊」と呼び、大義をとなえ降伏論を一蹴した。

 

 結果、魯粛(ろしゅく)とのタッグで劉備を味方につけながら、ほぼ孫呉のみの軍勢で曹操の船団を撃退する。周瑜は、見事に自身の陣頭指揮でこの大一番に勝利してみせたのだ。

 

NHK「人形劇 三国志」(1982~1984年)に登場した諸葛亮(孔明)と龐統。提供/川本プロダクション 所蔵/飯田市川本喜八郎人形美術館 撮影・田村実

 孫呉が赤壁に勝利したことで、曹操の「独り勝ち」の情勢は覆った。そこで周瑜は、壮大な計画を孫権に提案する。曹操が敗戦から立ち直らぬうちに荊州から西へ兵を進め、まず益州(蜀)を攻略。さらに北方の勢力、馬超(ばちょう)と同盟を結び、荊州の本軍とで曹操を挟み撃ちにする。曹魏を打倒し、漢帝(献帝)を助け、孫家が天下統一するというものだった。(次のページ:関羽や張飛も率いて見せると豪語した「周瑜の野望」)

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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