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激動の歴史を見守り続けた江戸城

蔦重をめぐる人物とキーワード⑬


3月30日(日)放送の『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第13回「お江戸揺るがす座頭金」では、困窮する武家が高利貸しに借金したばかりに、身を滅ぼす様が描かれた。そんななか、版元のひとつである鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべえ/片岡愛之助)も借金で窮地に立たされていることに、蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう/通称・蔦重/横浜流星)は複雑な思いがするのだった。


江戸を震撼させる高利貸し対策に幕府が乗り出す

現在残る江戸城の天守台(東京都千代田区)。明暦の大火の翌年にあたる1658(明暦4)年に、加賀藩により築かれたもので、東西約41㍍、南北約45㍍、高さ11㍍という大きさを誇る。天守閣より城下町の復興を優先するべきという幕府の方針転換により、再建途中の石積みだけが残されている。

 ある日、鱗形屋が偽板で捕まったとの知らせが蔦重のもとに届く。須原屋(里見浩太朗)によれば、鱗形屋の借金の証文の一つが鳥山検校(とりやまけんぎょう/市原隼人)を頭とする当道座の座頭に渡っていたのだという。鱗形屋の番頭が座頭の厳しい取り立てに苦しみ、主人に隠れて偽板で金を工面していたようだ。

 

 座頭金は、旗本や大名まで手を出す者がおり、身を持ち崩す者が急増していた。高利貸しである座頭が横行する背景には、幕府の盲人優遇策があった。

 

 事態を重く見た田沼意次(たぬまおきつぐ/渡辺謙)は、松本秀持(まつもとひでもち/吉沢悠)に鳥山ら当道座の調査を密かに命じる。長谷川平蔵(はせがわへいぞう/中村隼人)には、西の丸に勤める者の座頭金利用の実態を探らせた。

 

 その頃、鳥山は妻の瀬川(せがわ/瀬以/小芝風花)が吉原に戻りたいのではないかと疑っていた。瀬川は否定するが鳥山は納得しない。そこで、瀬川を離れに閉じ込め、その間に従者に瀬川の部屋を調べさせると、蔦重の作った本と古い赤本が見つかった。鳥山は、落籍した後も忘れられない蔦重という存在が瀬川の胸に強く残っていることを勘ぐる。

 

 そんななか、意次は松本から座頭金に関する報告を受け、家督乗っ取りという悪質な取り立ての手口を知った。さらに、平蔵からは西の丸小姓組の森忠右衛門(もりちゅうえもん/日野陽仁)が逐電(ちくでん/ちくてん/失踪)したとの報告を受ける。森は息子の出世のために座頭金に手を出し、それが原因で借金が膨らんでいた。その結果、家督を譲ることを座頭に迫られ、進退窮まった森は、逐電した上で出家したのだった。

 

 意次は、次の将軍と目される徳川家基(とくがわいえもと/奥智哉)に座頭金利用者の名簿を見せ、鳥山らの取締りを進言する。老中首座の松平武元(まつだいらたけちか/石坂浩二)は、神君家康公以来の盲人優遇を盾に反対するが、意次は今の検校は弱者ではないと反論。現将軍である徳川家治(いえはる/眞島秀和)も、幕府が救うべきは、金を借りてまで苦しむ民草だと意次の意見に同意した。

 

 その夜、鳥山は蔦重との不義密通を疑い、瀬川を問い詰める。瀬川は蔦重への想いは認めつつも、今はその気持ちを消したいと涙ながらに訴えたのだった。

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過去記事

小野 雅彦おの まさひこ

秋田県出身。戦国時代や幕末など、日本史にまつわる記事を中心に雑誌やムックなどで執筆。近著に『「最弱」徳川家臣団の天下取り』(エムディエヌコーポレーション/矢部健太郎監修/2023)、執筆協力『歴史人物名鑑 徳川家康と最強の家臣団』(東京ニュース通信社/2022)などがある。

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