シーズンを前に、日本の引っ越し事情を振り返る
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昨年末に知人から「引っ越し先を探している。3月までにはしたい」という話を聞いて、「3月は引っ越しシーズンだし、最近は業者さんも混んでるようだから、早い方がいいと思いますよ」と答えた。たぶん、頭の片隅にこのような記事の記憶が残っていたからだと思う。

例えば2019年(平成31年)2月27日朝刊経済面〈引っ越し難民 防止苦慮 足りぬ人手 業者「限界」〉。
〈トラック運転手らの人手不足の深刻化で、年度末に希望通りの日程で、転居ができない「引っ越し難民」の発生防止に国土交通省や企業が苦慮している。石井国交相は26日、4月に異動する職員を対象に、勤務開始日を後ろにずらすことを認める方針を示した。企業にも同様の対応を促す狙いがにじむが、追随する動きが出てくるかどうかは見通せない状況だ〉
例年、進学・就職による引っ越しが集中するのが3~4月。昨24年には運転手の時間外労働に上限が設けられることから人手不足に拍車がかかると予想され、数年前から「2024年問題」と呼ばれていた。この状況は、25年以降も続くようだ。
遠距離には鉄道が使われた
筆者自身はこれまで4回引っ越しをした。3度は運送会社に頼んだ。最後の引っ越しは14、5年前で、秋だったのですんなり予約できた。1度はレンタカーのトラックを借りて自分で運転し、積み降ろしは友人に手伝ってもらった。30年くらい前、まだ元気だった。
かつて日本人は引っ越しの際に、どうやって荷物を運んでいたのだろうか。

1880年(明治13年)7月13日の朝刊の記事に、東京で車力(荷車を引いて荷物を運ぶ職業)の男性が〈
90年(明治23年)には〈各地御移転荷物〉との見出しで、長距離輸送の広告が載っている。社名は内国通運会社、現在の日本通運である。1903年(明治36年)2月7日には、鉄道作業局による引っ越し荷物の料金を割り引くという記事も出ている。遠距離では鉄道も使われていたことがわかる。

1922年(大正11年)11月23日朝刊には〈早稲田から青山の粋な家に 大隈侯の引っ越し〉という記事がある。この「大隈侯」は大隈重信の婿養子で、この時期は貴族院議員だった大隈信常。〈有名な早稲田の
戦時中に目立つ「疎開」

時代は下って、戦時中に目立つのは疎開の記事だ。これも引っ越しの一種ではある。44年(昭和19年)2月3日朝刊に〈疎開の運賃
もっとも、たった1か月後の3月3日朝刊には〈けふから当分小荷物はお断り〉という記事が載る。〈最近帝都を中心に京浜地帯各駅は手、小荷物の殺到がもの
「転勤」需要が中心、「進学」は少数派だった

戦後、1966年(昭和41年)3月4日朝刊「婦人と生活」面の〈ぜひ知っておきたい引っ越しの知恵〉は〈三月の声をきくとともに引っ越しのシーズン。とくにこれから四月にかけて官庁、会社の人事異動もからんで、引っ越し荷物の輸送量は、ふだんの三倍近くにはね上がるという〉と書き始めている。3~4月が引っ越しシーズンというのは今と同じだが、ここでは進学は話題に上らない。この年の大学・短大進学率は16.1%とまだ低く、引っ越しを伴う学生はさらに少数派だったということだろう。
ちなみに記事には〈近距離はトラックで……遠距離は鉄道で……ということが目やすになるようだ〉ともある。東名高速道路の開通はこの2年後だから、トラックでの長距離輸送は、まだ容易ではなかったはずだ。
「いちょう作戦」は10億円

引っ越しをするのは個人だけではない。1991年(平成3年)3月7日夕刊社会面に〈新都庁舎へ1万3000人 10億円の大引っ越し いちょう作戦あすから〉とある。いま西新宿にある東京都の庁舎ができた時の話だ。<いちょう>は都の木と「移庁」をかけたもの。
〈現在の千代田区・丸の内庁舎から新庁舎に移る職員数は、一万三千人。文書類が小型コンテナ二十六万個、運搬用トラックは二トン車で延べ三千五百台、総費用十億円〉という大がかりなもの。
前年の90年(平成2年)6月には、夕刊社会面で〈引っ越し大作戦 都庁、新宿へ〉という短期連載(全7回)まで掲載された。4日掲載の第1回によると、〈最近では都内で最大、と言われた昨年四月のIBMの箱崎(中央区)への事務所統合でも移動は五千人。官庁では、「日本一」と話題になった警視庁(昭和五十二年)が六千人、今年七月の法務省・検察合同庁舎で三千二百人だから、スケールでは群を抜く〉とある。

連載では、運送会社の入札から、交通渋滞や環境監視システム中断の懸念、知事選日程との競合、文書のスリム化、移転によって空くスペースの利用など、さまざまな話題を取り上げている。まだバブル期の最終盤だけに、貸しオフィス需要には事欠かなかった時期だった。
ちなみに都知事選は引っ越しから間もない4月7日に投票、8日に開票。巨費を投じての新庁舎建設を批判する声もあったものの、現職の鈴木俊一氏が4選を果たし、無事、新しい知事室に入ることができた。
「運搬だけ」だった業者のサービスは多彩に
同じ91年3月に、経済面で「引っ越し最前線」という短期連載が掲載された。19日掲載の初回テーマは〈様変わりするイメージ 小口サービスに「単身パック」も〉。
〈引っ越しは面倒というイメージは消えた。アートコーポレーション(本社・大阪)が昭和五十五年に、「荷造り無用」をセールスポイントにした時、まだ業者も利用者も「引っ越しは運搬だけ」の考えにとらわれていた。ところが今は様変わり。「荷造りから引っ越し先での整理まで」のサービスが約七割を占める。「引っ越しに絡むことはすべて業者の仕事。昔は嫌がった食器、衣類に触れることも、今は全く気にしなくなった」(同社企画広報課)という〉

確かに、筆者も1987年(昭和62年)の入社直後の引っ越しでは、荷造りした荷物を運送業者に渡すだけだったが、最後に引っ越した時は、荷造りや新しい部屋への設置の、かなりの部分をやってもらった。
記事の見出しにある通り、この頃には単身者向けのサービスも登場した。上京して就職・進学する単身者といえば、住みこみか寮住まい、手荷物の他には布団くらいだった集団就職の頃とは違い、一人暮らしでもワンルームマンションにそれなりの家具をそろえるようになった時期だった。連載では、海外赴任の引っ越しに関するサービスについても紹介している。