連ドラを泣く泣く断った広末涼子、母親「普通の高校合格後ね」「中高の友達は一生の財産」
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25年前、ショートヘアの高校生が、全力疾走し続けていた。「ヒロスエ」の4文字が世を席巻し、テレビ・映画・雑誌の表紙・新聞・街角のポスターで“見ない日”はほとんどなかった。女優・広末涼子さん(41)の「わたしの中高生時代」。中学でいじめを受けたときのこと、高校で得た一生の親友たちのことも語ってくれたが、その前にまず、芸能界を夢見た故郷での日々とオーディションでの「秘話」から。(読売中高生新聞)
保育園から「女優になる」、資生堂のCMが夢
「物心ついたとき、すでにテレビっ子でした。ドラマも歌もお笑いも好きで『歩くテレビ欄』と呼ばれました(笑)。
ミポリン(中山美穂さん)、キョンキョン(小泉今日子さん)、ゴクミ(後藤久美子さん)に憧れ、『志村けんのバカ殿様』『よしもと新喜劇』『ダウンタウンのごっつええ感じ』も毎週楽しみでした。当時、高知県の民放はまだ2局だったので、見たい番組を録画したビデオテープを横浜の親戚に送ってもらいました。
大好きだったから自然に『自分もブラウン管の中に』と願い始めたのかな。保育園から『女優さんになる』と言い続けていました。

10歳の頃には、『20年後の自分から今の自分へ』と題して手紙を書く授業がありました。〈いま女優をしていて、あなたの頃で言う宮沢りえさんより年上、浅野温子さんより若いぐらい。資生堂のCMをやっている〉と書いたみたいです(笑)。
幼い頃って、夢をかなえるまでのプロセスは関係なく、例えばパイロットやキャビンアテンダントになりたいと思ったら、視力や身長の条件は考えずに、心はもう空の上ですよね。
そういう意味で私、夢と現実の境目がないまま、大きくなったかもしれないです」
雑誌のCM募集に応募、「アヒル口」の原点は…
広末さんは、中1の作文でも「15歳で輝くモデルデビュー。18歳で芸能界に入って女優になる」と将来をつづった。
その夢は突然、現実になる。広末さんは中2の夏、初オーディションを勝ち抜き、クレアラシルのCM(「私に勝ったらチューしていいよ!」)でデビューした。
「中学生になって、街の本屋さんで『月刊デ☆ビュー』というオーディション情報誌を見つけました。でも、田舎のスポーツ少女には、どの芸能事務所が良いか悪いかわかりません。