織田信長の書状発見、足利義昭の意向で幕府と武士の調整役担う…明智光秀が連絡役

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 織田信長(1534~82年)が、室町幕府将軍足利義昭の思いをくんで畿内の武士の領地回復を仲介しようと、幕府の有力者の家臣に出した書状が発見された。家臣の明智光秀が連絡役を務めたことも記されている。信長は後に義昭と対立するが、対立前は畿内での権益調整の役を担っていたことがわかる史料として注目される。

発見された織田信長の書状(泰巖歴史美術館所蔵)
発見された織田信長の書状(泰巖歴史美術館所蔵)

 書状は、戦国時代の史料を収集している 泰巖たいがん 歴史美術館(東京都町田市)が入手し、東京大史料 編纂へんさん 所の村井祐樹准教授(日本中世史)が調査して、内容から元亀2年(1571年)に書かれたと判断した。

 河内(現在の大阪府東部)の武士の安見宗房が戦乱で失った領地の回復を要望していたことから、信長が幕府有力者だった細川昭元の家臣・三好為三に、宗房と昭元の対面の取り次ぎを依頼する内容だ。義昭に「忠節を尽くす」宗房の希望が実現すれば、「将軍様もお喜びになるし、信長も うれ しく思う」と記し、依頼が義昭の意向に沿うものだと強調している。

 文末には「詳しくは明智(光秀)が伝える」と書かれ、当時信長家臣として台頭していた光秀に、幕府との連絡役を任せていた様子も分かる。

 信長は1568年に義昭を立てて入京したが、後に2人は対立し、73年に義昭を京都から追放した。村井准教授は「義昭と協調していた時代に、信長が畿内で果たしていた政治的役割を裏付ける史料は少なく、非常に重要だ」と話している。

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