大阪万博1970「立て続けに3本食べた」あまりのおいしさ”舶来グルメ”に感動
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大阪・関西万博が4月13日に開幕します。1970年(昭和45年)3月に「人類の進歩と調和」をテーマに行われた日本万国博覧会(大阪万博、EXPO’70)以来、実に55年の時を経て、大阪で開かれる万博です。当時を知らない世代も多いでしょうが、読売新聞のユーザー投稿サイト「発言小町」には、あの頃の懐かしい思い出を語り合うトピックが寄せられました。

大阪万博は、1970年3月15日から9月13日まで大阪府吹田市の千里丘陵を会場に行われました。国際博覧会の開催は日本初、アジアでも初めてでした。77の国と四つの国際機関が参加し、116の展示館(パビリオン)が建てられました。183日間に及ぶ会期中の総来場者数は約6400万人に上り、万国博覧会史上最多を記録しました。
発言小町に「Expo’70の思い出、教えてください」というトピックを投稿したのは、開催当時、阪神間で暮らしていた「沙羅双樹」さん。小学3年生だったトピ主さんは、“日射病”にならないようにチューリップ形のハットをかぶり、保護者とはぐれたときの対策に「迷子ワッペン」を付け……。それだけで“近未来”に踏み込んだような気持ちで興奮したそうです。
会場は大混雑で、「大人気だったアメリカ館とソ連館には入れず、行列が少ない穴場ばかりを回ったため、後日ともだちと話をしていて悔しかった」と残念がるトピ主さん。55年前の感動を分かち合いたいと、「Expo’70といえばどんなことを思い出されますか? 見た物、食べた物、体験したこと、人との触れ合い、どんなことでも結構です。ぜひぜひお聞かせください!」と発言小町で懐古談を募りました。
ランチで初めて食べた「タルタルソース」
大阪市に暮らしていた「横浜マダム」さんは、なんと6回も会場に足を運んだといい、「動く歩道」や「グレープフルーツ」など、いくつもの初体験に胸を躍らせました。長蛇の列に耐え、注目の的だった「月の石」も目に焼き付けたそう。あれから、55年。「動く歩道もグレープフルーツもごく当たり前にありますね。思えばあの頃の日本は希望に満ちあふれていたように思います」

当時5歳だった「りく」さんは、ランチで初めて食べた「タルタルソース」が忘れられません。様々な国旗の図柄でラッピングされたキャンディーも記憶に残っているそうです。
小学生だったという「みか」さんは、「キプロスとドミニカ(のパビリオン)に行った覚えはあります。ソ連館に行ったのかどうかは覚えていませんが、ロシア料理のレストランでボルシチを食べた記憶はあります。生まれて初めて食べたボルシチはとてもおいしかったことを覚えています」と振り返ります。
小学1年だった「そうじじ」さんは、「万博には何度も行きましたが月の石があったアメリカ館は混雑で入ることはできませんでした」と残念そうですが、「今では当たり前の、紙コップにクラッシュアイス入りで提供されるコーラなどを万博で初めて経験しました。アメリカンドッグも初めてであまりのおいしさに立て続けに3本くらい食べました」と、舶来グルメに舌鼓を打った思い出をつづりました。
大事にしていたホログラムの「迷子ワッペン」
来場者でごったがえす会場の熱狂を記憶にとどめている人が少なくありません。あまりの混雑で、人気のパビリオンに入れなかったり、会場周辺の交通機関や宿泊施設にも影響があったりしたようです。

トピ主さんも付けた、ハトのホログラムが特徴の「迷子ワッペン」を大事にしばらく持っていたという「ロコ」さん。会場で印象に残っているのは、万博ならではのユニークな休憩エリアです。「薄暗い空間にたくさんの丸く平たいクッションのような形をしていて、子供でも座れる高さのおそらくぶ厚いガラス製で、中から暖色で全体が光っているイスがあるスペースです。大勢がそこに座って休憩していました」と、不思議な光景を思い起こしました。
「パビリオンはどこも2時間待ち、3時間待ちで、ものすごくすいていたものしか見た思い出はなかったです。アメリカ館の月の石なんか見られなかったですね」と、人であふれかえる様子をつづった「ぎんねこ」さんは、当時6歳。大阪市内で父親に買ってもらった「太陽の塔」をデザインしたペンダントが思い出です。「2泊3日でしたが、あまりの混雑に夏やせして東京に帰宅しました」と、へとへとだった様子を述懐します。
当時、関西の近くで暮らす中学3年生だった「夏椿」さん。車で会場へ向かいましたが、名神高速道路が途中から渋滞で進まなくなり、断念して引き返したそうです。その後、自分なりに攻略法を練って、リベンジで2回訪れました。行列必至のアメリカ館やソ連館をあきらめてターゲットを絞る戦略は奏功し、お目当てだった太陽の塔の空中展示と日本館に入館したといいます。最近では、「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」のフレーズが印象的なウイスキーのCMで知られる「底面が太陽の塔の顔のロックグラス」を眺めながら、当時をしのんでいるのだとか。
北海道からはるばる大阪へ赴いたというのは、「kiwi」さん。羽田空港に向けて初めて飛行機に乗り、そこから大阪へ初めての新幹線、車窓から初めて富士山を望みました。会場近隣のホテルはいっぱいで、琵琶湖畔に宿泊したそうです。お目当てだったアメリカ館は混雑で近づくことさえできませんでした。
万博よりも前後の旅路が印象深かったという「kiwi」さん。大阪・関西万博では、「ワタシが両親を案内したい」と親孝行を計画しているそうです。
幼い頃、親に手を引かれながら訪れた大阪万博。55年の時を経て、今度は老親や幼い子どもの手を引いて、再び万博を訪ねることを楽しみにしている人もいるのでしょう。
(読売新聞メディア局 鈴木幸大)
【紹介したトピ】 Expo’70の思い出、教えてください
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