致死性の不整脈、放射線治療で救える希望
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「放射線治療」といえば、その標的は「がん」だと考える人が大半だろう。ところが近年、命に関わる危険な不整脈「心室頻拍」への効果が世界で注目されている。

東海大学医学部(神奈川県伊勢原市)の吉岡公一郎教授(63)(循環器内科)らは、その臨床研究に2019年から取り組む。従来の治療法が効かない難治性の患者などを対象としているが、8人中5人の症状が改善した。吉岡教授らは「照射自体は数分で済み、患者の体への負担が少ない」と話し、診療費の一部に公的医療保険が適用される「先進医療」への認定を目指している。
心筋に異常な電気回路ができて発症
血液を肺や全身へ送り出す心臓の機能は、心房と心室が順番に収縮することで果たされる。心臓の
ところが、心筋
このような仕組みで心室に頻拍が起きた時、心室へ血液を送り出す心房と、心房から受け取った血液を肺や全身へ送り出す心室が、バラバラなテンポで動くことになってしまう。心室は心房から血液が流れ込んでいない状態で収縮する「空打ち」を繰り返すことになり、心臓から新鮮な血液が全身へ十分に出ていかない。
「心筋にも血液が行き渡らなくて、酸素が不足します。それが数十秒から数分続くと『心室細動』という状態に陥ります。心筋はもはや収縮できなくなり、血液を送り出す心臓の機能が止まってしまいます」と、吉岡教授は説明する。

従来の治療の限界に挑む
こうした危険な心室頻拍に対して、「アブレーション」(

この治療によって頻拍が改善し、生命の危機を脱する患者は多い。一方で、十分効かない患者が3~5割に上るとも言われる。また、アブレーションを行えない病状や体調の患者もいる。
そこで、加熱するのでなく、エックス線や重粒子線といった放射線を照射して病巣の状態を変えようというのが、東海大で取り組む治療法だ。これまで8人に実施した。既に末期の心不全だった2人は病状の進行を止められず亡くなったが、5人の心室頻拍が改善した。頻拍が全く再発していない患者もいるという。
東海大の場合、放射線の照射自体は計10分以下で、体を固定するなどの準備を含めても1時間ほどで終わる。患者は痛みも感じない。
3~6時間を要する従来のアブレーションに比べ、患者の体への負担が極めて少ないという特徴があり、最高齢の患者は91歳だった。8人のうち2人が吐き気を数日間訴えたが、重い副作用は出ていない。
2017年、衝撃の論文に手が震えた
心室頻拍の放射線治療は今、特に欧米で臨床研究が進んでいる。起点となったのは2017年、医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」に掲載された論文だ。米ワシントン大の研究チームが難治性の心室頻拍の患者5人に放射線治療を行い、症状が劇的に改善したという報告だった。
吉岡教授らはそれ以前から、放射線を当てると心室頻拍が起きにくくなる可能性に気付き、量子科学技術研究開発機構(千葉市)と共同で動物実験などを地道に進めていた。当てる放射線の強さによって心臓への作用が異なり、15グレイという強さでは心筋の働きを回復させるというデータを得ていた。電気を流れやすくするたんぱく質の量や、周囲の交感神経などに影響を及ぼすためだという。

この効果を人間で示すデータもあった。がんの放射線治療では、患部にできるだけ放射線を集中させるが、周囲の正常な組織にも一部は当たってしまう。量研機構で重粒子線照射の治療を受けた肺がん患者のうち、心臓への
こうした研究を吉岡教授とともに積み重ねてきた網野真理教授(循環器内科)は、ワシントン大学の論文を目にした瞬間、それを持つ手が震えたという。「これまで救えなかった致死性不整脈の患者さんの無念さを思うと、『今まで行えなかった治療をやっと提供できるようになる』と胸がいっぱいになりました」と話す。
吉岡教授らの研究チームはワシントン大の技術をすぐに導入し、19年に国内初の治療を成功させた。治療に使う放射線はエックス線が一般的だが、日本がリードする重粒子線による治療も、量研機構の施設を使って23年に行った。
吉岡教授には、隔世の感だ。「基礎的な研究が治療法に結びつくまでには、何十年もかかることが多い。1999年にこの研究を始めた頃、自分が現役の間に実現できるとは思っていませんでした」