[猫学]猫も鳥も守るプロジェクトの“これまで”と“これから”
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去る2月11日、よみうりカルチャーの公開講座「猫学(ニャンコロジー)」(後援・東京都獣医師会、特別協賛・いなばペットフード)が、読売新聞東京本社で開かれました。「猫も鳥も守る――20年を迎えるノネコ引っ越し作戦」と題し、3人のゲスト講師が登壇した様子をダイジェストでお伝えします。
ノネコ引っ越し作戦とは…
ノネコ引っ越し作戦はこう始まった
新ゆりがおか動物病院院長・小松泰史さん
NPO法人小笠原自然文化研究所(IBO)から20年前、ノネコの殺処分の方法について相談を受けた小松さん。この日の講義では、当時のことを次のように振り返りました。
「普段の診療のときから、私は猫の立場でものを考えています。そのため猫が鳥を食べたら、どうして殺されないといけないの?と思うわけです。猫からすれば、生きるためにご飯を食べただけですから。こうしたわけで、ノネコを殺処分するという提案は、私としては受け入れられませんでした」

当時の小松さんは東京都獣医師会の副会長で、対外的な窓口を担っていました。小笠原は東京都にある島のため、IBO側は都獣医師会の担当者である小松さんに電話をかけたのです。
「かといって、そのまま相談を突き放したら、ほかのところで殺処分するということになりかねない」。そう考えた小松さんはとっさに、次のような言葉を続けたといいます。「ノネコを殺す必要はありませんので、送ってください。私のほうでできる限りのことはやります」
小松さんは、NPO法人野生動物救護獣医師協会(1991年設立)の初期からのメンバーです。この団体はタンカー事故による油汚染の海鳥を救助する活動をしており、「小笠原の海鳥をノネコから守りたいという、IBOの人たちの気持ちも痛いほどわかりました」というのも納得です。
実際、小松さんが都獣医師会副会長だったのは
2005年6月27日。小笠原諸島から丸1日の船旅を経て、マイケルをはじめ計4匹のノネコが、東京都稲城市の新ゆりがおか動物病院に到着しました。
「捕獲されたノネコはマイケル1匹と聞いていたのです。ところが、さらに3匹が捕まったと連絡があり、えーっと驚きましたが、仲間の獣医師が快く引き受けてくれました」と小松さん。追加で捕獲されたノネコ3匹は新ゆりがおか動物病院を経由して、世田谷区と福生市にある都獣医師会所属の動物病院に送られました。

自動撮影カメラでマイケルがカツオドリを襲った姿が捉えられたこと、都獣医師会の副会長が小松さんだったこと――この二つがなければ、この世界的にも例のないプロジェクトは始まらなかった。小松さんの講義を聞きながら、誰もがそうした感想を持っただろうと思います。
こわがりな猫と仲良くなるコツ
小松さんはマイケルだけでなく、ノネコを100匹以上受け入れ、ならした上で一般家庭に譲渡してきました。ノネコは野生で自活し、人と接したことがない猫です。まずは、人がこわい存在でないことを理解させるのが大切。猫が人を攻撃するのは、人をこわがっていることの裏返しのためです。
小松さんも最初は、ノネコを人にならすことができるか、確信は持てなかったそうです。それでもマイケルがかわいい飼い猫になって、猫はやはり人と一緒にいたい動物なのだと確信したそうです。
小松さんは講義で、こわがりな猫を人にならすコツを教えてくれました。順にご紹介します。
一つ目は、人がそばにいるという環境になれさせていきます。新ゆりがおか動物病院では、人がよく通ったり、出入りしたりする場所にケージを置いて、人はこわくないことを猫に理解させています。
二つ目は、ペンでちょこんと突っついて触れ合います。これは、ケージの隙間からペンの後ろの方を差し入れて、行うといいでしょう。最初はビクッと驚きますが、何度もやっていると猫もわかってきて「またか……」となります。この「またか」が続くうちに、猫はペンの先の匂いを嗅ぐようになります。匂いを嗅ぐ仕草は良い兆候。ペンを嗅がせた流れで、こんどはペンでほっぺたをなでましょう。ほっぺたは猫が気持ちいいと思う場所。徐々にほっぺた、あご、頭などなでる場所を広げていきます。
三つ目は、「かわいいねー」「いい子だねー」といった言葉をかけることです。言葉の意味はわからなくとも、言葉の優しい雰囲気や抑揚が猫に伝わり、人への信頼感につながるのです。
小松さんが「いまは、いなばペットフードの『ちゅ~る』があるので、ノネコが人なれするのはもっと早いでしょう」と話すと、会場からどっと笑いが起きました。
本コラムで以前に書きましたが、私が飼うハニーも、小松さんのところでお世話になった1匹です。2019年12月26日に、新ゆりがおか動物病院に到着し、それから約4か月間を院内で過ごしました。父島のノネコ一時飼養施設「ねこ待合所」(通称ねこまち)にいたときは、抱っこの訓練があった翌日におなかをこわすほど神経質、というかメンタル面に課題のあるハニーです。
「ハニーは、妻(千江さん)にはよく懐いたのですが、あるとき、私が抱っこしようとしたら、左腕をガブリと本気でかまれましてね……」。小松さんは苦笑いしながら話しました。
小松さんは当時、動物病院の屋根に上がった際に誤って転落し、脚に大けがを負いました。しばらく松葉づえを使っていたある日、立てかけた松葉づえが倒れるなどして、バターン!と大きな音が出ました。するとハニーはびっくりして、それ以来、小松さんを警戒するようになったとか。
「私のことは嫌っていても、今は飼い主の宮沢さんによく懐いていますから、ノネコ引っ越し作戦としては成功しているわけです」。小松さんがにっこりして話すと、会場から拍手がわき起こりました。

本土に渡ったノネコはいまや1100匹超。小松さんの講義の最後に、マイケルとハニーが並んだスライドが映しだされました。2匹の姿を見ると、ノネコと一口にいっても、外見や性格は異なり、その猫生(人生)も人と同様に様々であろうことを、受講した皆さんも思い至ったような雰囲気でした。
プロジェクトを命の教育に生かす
東京都獣医師会副会長・中川清志さんの講義
ノネコ引っ越し作戦は、正式名称を小笠原ネコプロジェクトと言います。このプロジェクトでは、「山の猫」(ノネコ)に人の家族を探すことと、山の猫を増やさないこと――この2本の柱で活動しています。
一つ目の山の猫に人の家族を探すことから、お話ししましょう。最初にやる作業は、何かわかるでしょうか。実は、島のあちこちで、猫のうんちを探すのです。
猫のうんちがあれば周辺に猫がいる可能性が高いので、そばにカメラを設置します。猫がカメラに写れば捕獲かごを置き、捕まった場合に備えて、毎日必ず捕獲かごを見回ります。

捕獲されたら、ねこ待合所(通称ねこまち)で世話を受けたのち、本土の引き受け先の動物病院に送られます。現在は東京都獣医師会の600病院のうち、約3分の1にあたる187病院がこのネットワークに加わっています。これまで1125匹(2月11日現在)の猫が本土に渡りました。
こどもの猫の場合、最近では2週間程度で一般家庭に譲渡しています。3~4キロのおとなの猫でも以前は2か月くらいかけていましたが、最近は1か月くらいです。小松先生が中心的に取り組んでいた初期の頃よりも、動物病院で過ごす期間はかなり短くなっています。これまでの経験の積み重ねによるものです。
さて、2本柱のもう一つは、山の猫を増やさないことです。
小笠原では1996年くらいから飼い主のいない猫の対策に取り組み始めており、98年には全国初の「飼いネコ適正飼養条例」ができました。皆さんのご協力のもと、飼い猫の登録など先進的な取り組みを進めてきました。
そうした中で、小笠原では動物病院が少なかったため、東京都獣医師会は2008年から小笠原動物派遣診療をスタートさせました。獣医師が島に滞在して、ペットの診療をするものです。診察の際、飼い主さんに猫を屋内で飼育することなどを呼びかけ、適正飼養を後押ししました。

小笠原が世界自然遺産に登録されたのは2011年。猫対策など外来種対策が一定の成果を上げたことも、世界自然遺産への登録を後押ししたと言われています。20年3月には、対象を猫からペット全般に広げた「小笠原村愛玩動物の適正な飼養及び管理に関する条例(ペット条例)」ができました。このペット条例では、猫だけでなく、犬などを含めたペットと野生動物が、より良い関係を築くことを目指しています。先の飼いネコ適正飼養条例はペット条例ができたことに伴い、発展的に解消されました。
さて、山の猫の搬出数が増えるとともに、アカガシラカラスバトの目撃数は増えていきました。かつては40羽くらいと絶滅寸前だったものが、現在では1000羽くらいになっています。マイケルが壊滅させた母島の海鳥の営巣地では、再びカツオドリが見られるようにもなりました。
ノネコは比較的うまくいったケースですが、動物を殺処分せずに保護すると言っても、一筋縄ではいきません。たとえば、野生化したヤギであるノヤギ。小笠原の希少な植物を食べるなどして、植生や生態系に大ダメージを与えているため、殺処分(駆除)されています。
人間が起こしてしまった影響は大きい。小笠原だけではなく、他の島も苦労しています。猫以外の動物にも思いをはせることが我々には欠かせないでしょう。
小笠原ネコプロジェクトの20年間はうまくいったことも、いかなかったこともあります。うまくいかなかったことや今抱えている課題も含めて、このプロジェクトは環境教育や命の教育などに幅広く活用できます。こうした面について、私は今後、より力を入れていきたいと思っているところです。

DNAから見た小笠原の猫
アニコム先進医療研究所研究員・松本悠貴さん
松本さんは新進気鋭の遺伝学者で、物心ついた頃からの愛猫家でもあります。昨年8月の公開講座猫学フォーラムでは「和猫の誕生」と題し、最新の遺伝学に基づいた猫の歴史を講義してくれました。今回は、東京都獣医師会所属の動物病院にいる2匹とハニーの研究試料(血液)などを調べ、小笠原諸島・父島のノネコの歴史を探っていただきました。

「父島のノネコの場合、アジア系と米国系の血が混ざっており、米国系が5~6割と優先していることから、祖先は米国に由来する可能性があります。歴史的な経緯を考慮すると、ハワイとの交易などにより米国系の猫が先に入った後、日本人が持ち込んだ和猫の血が混ざったとみられます」
松本さんのこれまでの研究では、和猫はアジア系と欧米系の血が混ざっており、その割合はアジア系が優先したものでした。一方、父島出身の3匹は米国系の血が明らかに濃いことが、今回のDNA解析でわかりました。
小笠原は海洋島で、大陸と一度も地続きになったことがありません。もともとは猫がいなかった小笠原で、猫の数が増えたのはいつ頃のことでしょうか。
「猫の個体数は1830年にハワイ系の人々らが入植し、その10年後くらいに増え始めたと見られます。特に1853年のペリー来航以降の時代に急激に増えたものの、小笠原の食糧には限りがあるため、島で生きられる猫の数はほどなく限界に達したと推定されます」
江戸時代の終わり頃、小笠原の猫の数は急増減した後も、昭和から平成にかけて、増減は繰り返されていきます。松本さんはスライドを使ってわかりやすく解説を続けました。
「一方、1939年~1945年は第二次世界大戦と内地への疎開により、猫の数は減少したとみられます。それが80年代以降になると、小笠原への人口流入に伴う和猫の移入によって数は増えたと考えられます。98年の国内初の飼いネコ適正飼養条例やノネコ引っ越し作戦により減少傾向が読み取れ、ノネコ引っ越し作戦は効果を上げていると思われます」
DNAの解析で、ここまで推定ができるのは本当に驚きです。20年を迎えたノネコ引っ越し作戦ですが、遺伝学という新たな視点の解説はとても新鮮で、受講者も熱心に聞き入っていました。
「今後、DNA解析をするノネコの数を増やし、交雑時期の推定などをはじめ詳細な分析をしていきたい」と、松本さんは抱負を口にしました。
今回を機に、ノネコ引っ越し作戦に参加する動物病院と松本さんの連携がさらに進み、小笠原の猫の歴史が解き明かされれば、和猫の歴史のサイドストーリーとして興味深いものになりそうです。世界各地の離島に、猫がどのようにたどり着き、数を増やしていったのかなどもわかってくるでしょう。

人間にとって、猫という存在はなんなのか。猫にとって、人間という存在はなんなのだろう。
古今東西の人々は猫を愛し、あるいは忌み嫌ってきた。猫は宗教や伝統をはじめ、絵画、文学、音楽といった芸術活動とも浅からぬ縁がある。
昨今の日本ではペットの猫の数が犬を上回り、海外でも似た現象がある。猫は家族と同様の扱いを受け、一部では熱烈な愛護の対象ともなっている。他方で、野生化した「ノネコ」は希少な野鳥を絶滅に追いやりかねない「小さな猛獣」であることが、科学的な調査で判明している。
猫学では識者へのインタビュー、猫にまつわるちまたの話題、科学部記者と暮らすノネコの日常をつづりながら、猫と人とのより良い関係に思いを巡らせていく。
